かどやの店主

 

【名前】角本稔(かどもとみのる) 神戸にも「かどもとみのる」さんがいらっしゃいます。 同姓同名全国で2名!

 

【生年月日】1972(昭和47)年8月16日

 

【同い年の人】

ペ・ヨンジュン
ヒロシ
西田ひかる
藤木直人
細川茂樹
タカハシ・ワタル
キャメロン・ディアス
木村拓哉
名波浩
KEIKO
スズキ・ダイスケ
アリッサ・ミラノ
中居正広
平井堅
真木蔵人
リバウド
濱口優
山口達也
常盤貴子
寺島しのぶ
ガレッジセール・ゴリ
石田ひかり
ペナルティー・ワッキー
貴乃花親方
高岡早紀
梅宮アンナ
中村獅童
松雪泰子
飯島愛
武田真治

【愛車歴】~単車編~

 

★ゼファー400 ←半年後に盗難に遭い、族車仕様になって戻ってくる
★CBR250 ←ツレから安価で購入。
★GPZ900RNINJA ←限定解除して中古で購入。1週間後に立ちゴケ。1ヶ月後に事故で廃車。
★ゼファー1100 ←新車でヨーロッパ仕様を購入。借金多すぎで売却。
★SR400 ←このシングルは最高やった!
★スーパーカブ ←現在不動車。
★ジャイロキャノピー ←配達用

 

【愛車歴】~四輪編~

 

★ランサーエボリューションⅢ ←初の新車!
★スカイラインGT-R R33 ←借金返せなくて1年で売却
★ユーノスロードスター ←ドリフトオモロすぎた!
★S-MX ←ローダウンして遊んでた
★ワゴンRワイド ←19万で購入
★キューブキュービック ←配達も出来るし自家用としても最高!現愛車。

 

【店主の人生】

デビュー当時


1972年8月16日にデビュー。ワタクシなんともKY。デビューはお盆の真っ最中。小学校の時は友達を招待して
お誕生日会みたいなものはやってもらったことがない。
みんな田舎に帰ってるから。

毎年、デビューした8月16日は京都・大文字の送り火の日。
お盆の間に帰ってきてくれたご先祖様の霊を見送るという行事だが、こんな偉大で大切な日にデビューさせてく
れた両親に感謝でございます。

 

幼稚園時代

地元・千里丘にある三島幼稚園に通ってた。
お泊まり保育の時に出てきたピンク色のソーセージを食べる事が出来なくて、幼稚園の階段のところに隠す。が、
見事に見つかって、すみれ組の先生に叱られました。
小学校時代

地元・茨木市立天王小学校。丸坊主の6年間。
別に学校の方針で丸坊主にしていた訳でもない。角本家の男はみんな丸坊主。(ワタクシは2枚刈り、弟は1枚刈。)

3年の時に、今まで経験したことのない大事件に襲われまして。
初恋なんっすよ、初恋!いやぁ、今から思うと照れますねー。
そんなある日、社会見学で男子と女子が背の順で2列に並び、それも手を繋いで歩かなくてはならない事に。
非常に偶然ながら、ワタクシの横には初恋の相手が。
クソガキにも関わらずドキドキし、手を繋ぐ事が出来ず、指切りげんまん状態で社会見学。嬉しいねんけど喋れない!
30歳を越えた今でも鮮明に覚えてる。
この頃からワタクシにとってヘタレ人生の始まりであります(笑)

何故か分からないが、4年生の時に書道教室に通う事が友達の間で流行った。その流行りに逆らうことなく書道教室
に3年間通う。今から思うと、酒屋は筆ペンを持つ機会が非常に多いので、書道教室に通うのが流行ってくれて非常
にラッキーでありました。

書道教室に通い出した頃、これも意味が分からないのだが学年で切手収集が流行る。流行に敏感なワタクシとしては
素直に切手収集を始める。しかし数ヶ月で終了。今も家のどっかにあるんとちゃいますかね。

クラブ活動が4年生から始まった。
入ったクラブは、「水泳・縄跳びクラブ」。訳が分からない。
夏は水泳、冬は縄跳びといったところ。
このクラブに入って水泳の楽しさを知ってしまう!このころ25Mクロール31秒。

同じく4年生の時、親父に無理矢理スイミングスクールに入れられた。記憶にない幼少の頃、川崎病という原因不明の
心臓の病気にかかったらしく、「強くなれ」ということで水泳を習わされたんだと思う。おかげさまで水泳が好きになった。
4泳法泳げるように。

選手コースまで行ったんやけども練習がしんどくてしんどくて。
よく仮病も使ったものであります。

サッカー教室にも入る。左利きというだけで、準レギュラーになる。
たまたま左利きの人間がいなかったようだ。
センターリングをあげるのがめっちゃ苦手やったんやけども、さりげなく練習しとりました。
結局、大して上達することなく、サッカー人生終了。

学年で持久走の大会があった。
ツレに「一緒に走ろうぜ」と言う。よくあるパターン。
しかし、どうもツレが遅すぎるのか自分に余裕があるのか、思いっきり走ってみたくなったのでダッシュ。すると、前には
2人の男子がいるだけ。3位に入ってしまった。
その頃ちょっぴり好きやった女子に「やるなぁ!」と言われ、照れまくり。バカなワタクシは、その時から早起きしてジョギ
ングを始める。しかし、すぐにあきらめる。なんとも単純で継続性の無いワタクシ。

6年生の時、連合水泳大会というものがあった。
いくつかの学校が集まって開催される水泳大会。
試合が終わり、入賞者の成績発表の時に何故かワタクシの名前が呼ばれた。学年では大して目立つ存在でもなかった
ワタクシの名前が呼ばれた事が学年ではどうも不思議だったらしい。
50mクロールで3位だった。タイムは非常に平凡。

小学校6年間は、特に目立つ存在でもなく、程よく普通って感じでしたわ。
個性もなく、勉強が出来たわけでもないしスポーツ万能やった訳でもないし。

いやぁ、今から思ったら、もっとはっちゃけといたらよかったー!
現役小学生よ!アゲアゲノリノリで小学校生活を謳歌しなさい(^_^)v

 

中学校時代

地元・茨木市立天王中学校。まだまだ丸坊主健在。

水泳部に入る。
小学校時代にタイムを争っていた友達と一緒に入部。入部した頃は友達に勝ってたのに、入部してあっという間にベス
トタイムで負けてしまった。とんでもなくくやしくて、とんでもなく練習したことを覚えてる。勝つことは出来なかったけど。

中学の時の記憶は、ほとんど水泳だけ。
彼女が出来た訳でもなく、勉強が出来たわけでもなく。
告白なんて一度もされなかった~(笑)
自分から告白もしてへんし(^_^)v

3年の時に、カドモト家の方針に逆らい、丸坊主をやめてスポーツ刈りにする。親父に黙って、自分の判断でやった。

その日の晩、親父に呼ばれる。
そしてひとこと。

「お父さんは悲しい。」

勝手に丸坊主をやめてスポーツ刈りにしたことが悲しかったのか。
その頃から反抗期突入。

高校進学の時期。五木の模擬テストを受けまくる。
志望校は、最後まで判定D。その次に行きたかった高校はC。

親父と進路についての話し合い。
公立高校での志望校はCとかDだったので、「私立に行きたい」と
懇願。最後には「行っても構わない」と言われるが条件があった。
「関関同立に現役で入りなさい」と。
関関同立がどんなものか分からないまま、高校に行かせてくれると
いうことだけで「分かった」と了解してしまった。

卒業式の時、まわりの友達は学生服の第2ボタンを女の子から奪われておりました。
「俺の第2ボタンも誰かもらってくれるんかなー」と思ってたんですが、案の定綺麗にボタンは学生服についたまま(笑)
やっぱりヘタレ人生はこれかも続くんやなーと実感(笑)

しかし!春から通う高校は共学ではなく、男子校(笑)
やっぱり俺はこんな運命なのかー(笑)

 

高校時代

私立関西大倉高校入学。男子校。
体育館での入学式で、館内が学ランで真っ黒になっているのに驚く。
男子校だから当たり前なんやけど。

入学して、いきなりK先生から呼び出される。
その先生はハンドボール部の顧問で、入学式の時にワタクシがハンドボール部の勧誘名簿に自分の名前を書いたら
しい。覚えてないけど。

それで、「おいおまえ、入部する気あるのか」と言われたが、入る気がなかったので恐る恐る断った。
でもその時の先生が、今では一番好きな先生だ。

入学して「水泳部に入ろう」と思っていたのだが、学校にプールがない事が発覚。よって水泳部に入る夢は絶たれる。
通う学校の事、ちゃんと調べとけよ、俺!

2年の時、今では腐れ縁のツレと出会う。
「俺ら、クラブもしてへんやろ。このままやったら全然面白くない高校人生やぞ。折角の高校生活楽しまないか?」と
の誘いに「分かった」と。

「俺たちの青春は、ここからスタートするんやー!」とのクサい言葉に乗ったって感じですな。

「ここに行こ」と誘われたのは「学園祭実行委員」というもの。
言われるままに入ったものの、どうも自分には合わない雰囲気だったが、ツレがいることの安心感から思いっきりや
ってみることにした。

その実行委員というのは、生徒会のひとつだったらしく、3年になって生徒会の副会長になってしまう。
なんもやってませんけどね。

「楽しもう!」ということで、結構無茶な事もした。
毎年学校のグラウンドでやってた体育祭。
それを思い切って、今やガンバ大阪の本拠地である万博競技場を借りて大々的にさせて頂いた。もちろんそれぞれの
種目の記録は電光掲示板に表示されるようにもした。
学園祭でも無茶をしたと思う。
芸能人を呼んだり、爆笑で有名な関大プロレスを呼んだり。
学内にミニFM局を作って、生徒会の同級生がDJとなって喋りまくった。
「予算があまりない!」という時は、学園祭パンフレット内に広告欄を作って、予備校に営業に行って広告を載せてもら
った事もあった。でも、おもろかったな~。

生徒会の顧問の先生は、よく怒られていたと耳にした事がある。
それでもやりたいことをさせてくれた顧問の先生には本当に心から感謝。

進路を決めないといけない時期になったが、勉強なんぞしていなかったワタクシは大変なことになる。学園祭実行委員
にワタクシを誘ったツレも同様。

その頃思い出したのが、親父との約束。「関関同立に現役で」。
模試の結果はさんざん。2浪しても3浪しても入れない。
親父とのケンカ勃発。

そんなこんながありながら、学内でツレと共に学校推薦を受ける事になった。腐れ縁のツレとは大学まで同じになる。

運が良かったんやろう。大学から合格通知が届き、晴れて大学生に。
ホンマに運が良すぎたー(笑)実力なんかいっこもあらへんのにー。

 

大学時代

京都・立命館大学入学。晴れて大学生。
ウキウキしながら阪急電車に乗って学校に通う。
大学時代の思い出はとんでもなく多すぎてここには書ききれない。

大学に行って得た大きな財産は友人。
今でも繋がっている友達がホントに多い。
会う事はさすがに少なくなったが、ツレの結婚式とかで会っても「まだ俺らは大学生やで!」ってな感じで全くみんな変わ
らない事が嬉しい。

あ、そうそう。
大学生になって、念願の彼女が出来ました(笑)遅っ(笑)

学生の間はずっとバイトしてた。小学4年生の時に習い始めたスイミングスクールでずっとバイト。子供達と一緒に泳いでた。
この時、子供が大好きになった。

飲みに行った事もほとんどなく、クラス合宿やゼミ合宿でちょびっとお酒を飲んだ程度。カラオケで歌を歌うなんぞ、ヘタレの
ワタクシにはありえない!だからいつも1次会で帰ってた。今から考えたらオモロない奴かも。

単車の免許をとり、400ccの単車を中古で買う。
しかし半年で盗まれてしまう。
単車欲しい病に毎日襲われ、バイトにあけくれる日々。
そんな時急に「次に買うバイクは、どうせなら大型バイクがいい」と訳の分からない事を考えてしまい、試験場に通う日々。
8回目にて限定解除の試験に合格し、バイトで貯めたお金を全てバイクに注ぎ込み、900ccのバイクを購入。乗りまくった。

しかし、購入後1週間で立ちゴケ。1ヶ月後にはクラッシュ!・・・廃車。

再びバイトに明け暮れ、クラッシュして10ヶ月後に1100ccの単車を買った。
大事に大事に乗ってたんやけど、ツレが中古で買った車を借りて山道を走っていた時に壁に激突!

「車両保険入ってる?」「いや、入ってない」「・・・。」

ということでツレの車の修理代を捻出するべく最愛の単車を売りに出す。
ここで単車人生終了。

2回生の時、見事にパチンコにハマる。
66単位を登録したにも関わらず、取得した単位は22単位。バカ丸出し。

3回生になり、そろそろ就職活動!という時に親父が逝く。

えらいこっちゃ!とばかりに店の手伝い。学校はほったらかし。
っていうか、酒の配達に明け暮れる毎日やったので学校にも行けない。
かどやに就職決定!

「大学辞めるわ」と言ったのに、母親が「それはあかん」と。

ゼミの先生に事情を話したら、「卒論だけはちゃんと出しなさい」と言われ、なんとか卒論が完成し、要卒単位をクリア!卒業!
くされ縁のツレと、最後のひと旗をあげるべく、卒業式の時に紋付きハカマで出席。爆笑の嵐。

ちょうどその頃、親父は店を酒屋からコンビニに改装中。
後戻りも出来ず、コンビニオープン!

 

コンビニ時代

多くのバイト君やパートさんに囲まれて、とても楽しい毎日。
年中無休ということで一泊旅行なんぞありえない状態だったけど。夜中1時に閉店してたコンビニやったんで、営業終了
してからバイト君達とよく遊びにいった。

単車人生が終わって、次は4輪に見事にハマッた。
よくあるパターン。

貯金でドーンと三菱のランサーエボリューションⅢを買う。
買った翌日には1000キロの慣らし運転終了。
めちゃめちゃ面白い車。
土曜の夜になると、先輩とブンブン走ってた。
本当はイカン事なんやけども、車のメーターでは足らない程の速度で高速をぶっ飛ばしてた。ゼロヨンもした。サーキット
でも走った。今から考えると、若かった・・・。
車を速くしたいが為だけに、どんどんチューニングして貯金はどんどん減っていく・・。ガソリン代もシャレならん。

ナンボ使ったやろか~。
毎月もらってた給料のほとんどを車のチューニング代につっこんでたんとちゃうやろか(笑)

まぁそれからというもの、事故に事故を繰り返す。ケガは無し。

そんな経験も、今ではエエ思い出。
今は「走ればエエ。壊れさえしなければ」といった感じ。
今乗ってる車なんか、バンパーにクモの巣がある始末。

話は変わって・・・。

ある時に日本酒に目覚める。
日本酒は美味しくないと思ってたし、飲んで美味しいと思った事もなかったんやけど、お客さんにもらった1本の純米吟
醸酒を口にした時に全身鳥肌がたった。

そこからハマる。完全にハマった。酒造りもしてみたかったので、地元の蔵元さんにお願いして、酒造りの勉強もさせてもらった。
もっともっと勉強したかったから、利き酒師の資格も取ってみた。
(今はきき酒師の資格は返上したけどね~。結局あんまり意味なかった)
いろんな酒蔵さんに行ってみたくなったから、時間があれば酒蔵を探して造り手の人達と会って話をした。

そうすることを続けていくうちに、酒屋がしたくなってきた。

日本酒の世界が面白くなって来た時に、ある1冊の本に出会う。
「町の酒屋」という本。
酒屋の素晴らしさ、日本酒の素晴らしさ。「人と人の繋がり」の大切さ。
「町の酒屋」という1冊の本との出会いから実際に様々な人と出会う事が出来、「酒屋をしよう」という決心をすることができた。

 

酒屋

様々な人と出会う事が出来、その方々のご縁で信頼出来る素敵な蔵元さんとも出会う事が出来た。その、信頼出来る素
敵な蔵元さんが造ってくださったお酒がきっかけで、本当に多くの人達と出会う事が出来た。
そして今も多くの方とお店で出会えるのが嬉しくて嬉しくて。

人間、ひとりでは何もできないんやなーということを凄く実感しています。
皆さんのおかげです。ワタクシはこれから一生酒屋です。
酒屋でいようと思ってます。酒屋であり続けたい。

 

まぁ、こんなとこですわ。

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